さぼってんだログ 常時ネタバレ

今のところ、和製RPGのシステムについて本気出して考えてみている。ネタバレに配慮していません。

文化の断絶2 時の流れはあまりに速い

 前回は、遠い所に住んでる人どうしは文化が違うよね、て話でした。
 今回は、今の人と昔の人は文化が違うよね、て話。
 テレビドラマシリーズ『水戸黄門漫遊記』の黄門役の役者さんは何度か代替わりしています。皆さんの標準脳内黄門様はおそらく、テレビ版初代であり演じた期間が長かった東野英治郎の黄門だろうと思います。黄門役はその後数人に引き継がれたわけですが、なんかイメージが違う、という意見は多かったですよね。最短で降板した黄門役は石坂浩二でしたか、スマートでそつがない石坂黄門は、豪快かつ闊達で「かっかっかっ」と笑うのがよく似合う東野黄門からの乖離が大きすぎたために、受け入れられない視聴者が多かったんでしょうか。
 だけど、おじいちゃんやおばあちゃんにつきあって『水戸黄門』を観ていた今時の子らの中には、石坂黄門しか見たことがない人もいるでしょう。世代的に、もう東野黄門を知らないのです。
 そして、なんということでしょう。『水戸黄門漫遊記』シリーズはこれ以上制作されないことになりました。これから後の日本人は「日本全国を漫遊して悪い者を懲らしめて回る水戸のご老公」というキャラクターイメージ自体を脳内に持たない可能性があるのです。「水戸黄門のメロディーで「どんぐりころころ」を噴かずに歌う」を持ち芸とする私は、すぐにも新しい宴会芸を開発しなければなりません。なんと由々しき事態。
 過去、FFは「ありえない速さのRPG」でした。プレステ以降、FFは「ゲームが付いたすごいムービー」になったのです。シリーズものを継続拡大させるには、過去のファンを維持しながら新規ファンを獲得し続ける必要があるでしょう。しかしFFの場合、かなり短期間に作風(文化と言ってもいいですが)が変わってしまったので、20世紀のファンの多くを置いてきてしまった気がします。過去のファンの「ぼくのかんがえたFF」と、今時のFF制作スタッフの「ぼくのかんがえたFF」との断絶とでも申しましょうか。ぼくの知ってるFFと全然かけ離れてるのに、こいつ何だっていつまでもFF名乗ってんの?っていう。
 私は、これまでちゃんと読んでくれてたらわかると思うけど、「ぼくのかんがえた幻想」一般を否定するものではありません。やり方がマズイのはマズイと思うのですよ。

文化の断絶1 こことあそこはあまりに遠い

『キル・ビル』て映画を見せられたことがありましてね。自分から見たんじゃないんですがまあ、見た。端的に言ってこれは「異国の人が作った「ぼくのかんがえた時代劇映画」」です。日本に長年住んで日本人やってたらこれは作れない、良くも悪くも。
 私みたいにポリシーがゆるい者は「へーこういうのもあるかねえ面白いねえ」としか思わないわけですが、時代劇に関しては一言あるぞって日本人の一部の方々には、これは耐えられない代物でしょう。「こんなもん時代劇じゃねえや」と言いたくなるはず。平日夕方『水戸黄門』の再放送を見るのを楽しみにしている層、これは現に実在します。それが「明日からこの時間帯は『キル・ビル』を放送します」なんてテロップでも出ようもんなら、テレビ局には抗議の電話が鳴り響くに違いないわけですよ。
 日本人が作る時代劇だって、実のところは考証なんぞいい加減なもんです。江戸幕府に副将軍なんて役職はないし、そもそも水戸光圀が日本全国を漫遊した事実がない。史実の水戸光圀の最大の功績は「水戸学*1」と呼ばれる皇国史観の構築であり、忙しくて漫遊なんぞしてる暇があるわけないです。
 問題は、史実かどうかとかじゃありません。標準的日本人の脳内に現に存在しているイメージが「水戸黄門」であって、そこから余りに乖離しすぎた描写で黄門様を描くと反発を招くに違いない、ということなんです。同様、んじゃこれは何なんだと言われれば「時代劇」としか言いようがなかったとしても、現に日本人の脳内にある「時代劇」からは乖離した映画であるところの『キル・ビル』は、ある種の日本人にとってはとても傲岸不遜なものに映る可能性があります。あんたの国には他にも娯楽が沢山あって、他のジャンルだって良かったはずなのに、何であえて時代劇にしたし、みたいな。
 さて、ひるがえってFF。今でも神話が伝わってるんですから、それらをご先祖様から受け継いできた古バビロニアの末裔の方々も今でもそれなりに存在してるんでしょうか。極東の島国の一般人には全くわからないわけですが、多分いらっしゃる。で、そういった方々が今FFをプレイしたとしてですね、「こんなのギルガメッシュじゃねえ」「何でギルガメッシュて名前にしたし」という抗議の電話がスクエニ本社に鳴り響かない保障はありません。
『水戸黄門』なんて日本ローカルでしか受けないんだから輸出に値しない、とかおっしゃる方、もしかするとそれ不遜じゃないですかね。ローカル極まりないものこそ、そのまま外に出せるんですよ。だって、本家本元の日本人が「これが黄門様」だって言ってるんだからさ。たとえば『ベルサイユのばら』なんか、フランス人にはお見せできないと思うんだけどねえ。もちろん私は『ベルばら』のマンガは古いのも新しいのも読んだしアニメも全部見て、すんばらしい作品だなあ、と思ってますが、それとこれとは話が別。
 輸出に際してはギルガメッシュは「BENKEI」とでも改名したほうがよろしいのかも知れないですね。日本人においては、標準脳内弁慶と標準脳内ギルガメッシュは別物だから、日本ではそのままでいいんですよ。

*1:このへんも面白い話がごろごろしてるんだけど書く余地がない。残念だなあ。

速くて3D美術優先なFFは無理ですか

 FFつったら豪華なムービーで世界にその名を轟かせております。これまでずっとその時代では最高峰のCGこさえ続けてきてるのは間違いないですから。が、純粋にFFのゲームとしての実力を認めて買ってきたようなファンは、強制的にムービー見せられるのはテンポが悪くなるからヤダってケースが非常に多いです。
 何がどうならFFか?FFに求めるものは何か?プレステ以降、3DCG採用以降と言ってもいいですが、この問いに返ってくるプレイヤーの回答のほとんどが、このコンフリクトに集約してると思います。映像美を取るか速さを取るか。
 FFってDQをクリアした人が次に遊ぶゲームとして作られた事情があって、色々なところで差別化を図っていたのだけど、代表的なものに「速い!」というのがありました。飛空艇の速さとかありえなかった。どんだけかって、ハードを供給した任天堂の人までもが「これどうやったんですか」て聞きに来たっていうありえなさ。DQではなくあえてFF推しを自認する人たちは、この「速さ」を買ってた人が多かったのです。標準的にせっかちさんなのです。
 ですが、ゲーム機の進化は主に映像を豪華にする方向へ進み、細かく言えば理由は色々あるんですが、とにかく映像に比重を置くとどうしても速度が犠牲になります。どっちも取る、のは現在の仕様では無理ですね。たぶん物凄い発想の転換が必要。
 シリーズが進むに連れてファン層も入れ替わってきたはずですが、今のFFは無理、と言ってる古参ファンには、テンポの悪さを無理と言ってる人が相当数いると思われます。もしかしたら新規さんにも結構いる?
 て前提を知らないとFF話を進めるうえでわかりにくい部分が多々あるので、とりあえず先にちょっと書いておこう。この話も細かくやると工数の問題などなど長くなるから、機会があればそのうち。

バハムート≠ベヒーモス

 ギルガメッシュに続き、昔からある想像上の存在をお借りするに際し、スクウェア(懐かしい社名です)が名前だけ使って、中身のほうはオリジナルをあんまり気にしてなかった顕著な例をもういっちょう。
 バハムートは竜のモンスター、ベヒーモスは角の生えた獣です。FFにおいてこの2体のモンスターはかなり強く設定されてますし、知らない人はにわか認定されても仕方ないです。が、以下の事実はあんまり知られてなさそうな。
 何神話だか伝承だかは知らないんですけど、バハムートとベヒーモスは日本語に翻訳される過程で生じた「表記ゆれ」で、つまりは元々同一のモンスターを指しています。
 日本人はふつーそんなこと知りません。私だって知りませんでした。スクウェアのスタッフさんも知らなかったんでしょう。ゲームに登場させるために海外のモンスターについて調べ、だけど深くは調べずに、「ぼくのかんがえたバハムートのイメージ」の絵をかいて、さらに「ぼくのかんがえたベヒーモスのイメージ」の絵もかいちゃったわけですよ、別々のモンスターとして。もちろん攻撃のクセとかのキャラクター付けも違ってます。
 ファミコン、スーファミ時代はプレイヤーは主に日本人だったので気が付いた人は少なかったのですが、プレステ時代になって大々的に海外へも販売するようになると、外国語へ翻訳しなくてはならなくなります。翻訳者から以下のごときツッコミが入ったことは想像に難くありません。「バハムートとベヒーモスって同じもんなんだけど。どう翻訳しろと?」
 どう翻訳してるんでしょうねえ。私の見解を述べますと、バハムートとベヒーモスは別のモンスターです。FFファンもスタッフも、もちろん私も別のモンスターだと認識してるんだから、元がどうでもそれらは別物。そういうもんでしょう。

次回何やるって書いても絶対そうならないな。というわけで予告はアテにしないでください。でもアルテマについては必ずやるよ。