さぼってんだログ 常時ネタバレ

今のところ、和製RPGのシステムについて本気出して考えてみている。ネタバレに配慮していません。

先達は偉かった

 バビロニア神話のギルガメシュ*1は紀元前2600年頃に実在した王様なんだそうですよ。ギルガメシュの神話の成立自体は紀元前2100年頃だそうで、その時点でギルガメシュのイメージはすでに500年間ほども人々の脳内で維持されてたってことです。んで現在に至るも、ざっと4600年もの間、そのイメージがキープされてるんですよ。凄いね。
 長持ちする幻想って、距離も時間も越えて色あせない人間の根っこのところを描いてるからなんでしょうね。ギルガメシュの物語のオチを簡単に要約するとこう。

ギルガメシュ「死ぬの怖いから不老長寿になりたかったのに失敗こいた!死にたくないよー!」
親友の幽霊「お前みたいな有名人は死んだ後も人々の心に生き続けるから心配すんな。」
ギルガメシュ「そっか、ならいいや。ガクッ。」

 一生の間に一度も「死ぬの怖いよ嫌だよ」と思わない人間はいませんわな。遥か遠い地でも今でもこのテーマで勝負できるわけです。そしてギルガメッシュはまんまと人々の心に幻獣として生き続けてるんですから、侮れませんなバビロニア神話のオリジナル作者。
『水戸黄門漫遊記』のテレビシリーズ開始は1969年ですが、完全オリジナルというわけではなくて、江戸時代からある講談が底本になっています。「これやったら絶対ウケるでえ」とテレビドラマに採用した人、中興の祖っていうんですか、その人も偉かったけど、オリジナルの『水戸黄門漫遊記』書いた人はやっぱり、もっと偉かったと思います。
 それだって水戸光圀が偉かったから人口に膾炙したのではあるんですけどね。もちろんギルガメシュも偉かったから今でも残ってるんですよ。「死ぬのは怖くないよ」てオチをよくよく見ると「人々の心で生き続けるくらい偉い人になれば死ぬのは怖くない、だからお前も偉くなれ」て内容ですからね。まあ、ふつーの人はギルガメシュや水戸光圀が本当のところ何で偉かったのかはあんまり知らないわけですけども。
 人々の脳内で長きにわたって受け継がれ続けたこれらの幻想には何か、人の心の琴線に触れる普遍的かつ魅力的なテーマが含まれていると考えるべきで、『水戸黄門』も作るのやめちゃうのはもったいないと思うんだけどね。もしかしたら5000年後にだって残るかも知れないよ?
 FFは25年ほど続いてますけど、これらの先達から見たらまだまだです。どうせやるなら一億と二千年後も残ってるくらいの勢いでやって欲しいものですが、幻想を長持ちさせる原動力としてのFFシリーズの持つ普遍的オリジナリティって何だと考えてみて、そのうち一つはティーダ風に言えば「幻獣って何なんスか」なんだろうとは思います。でも他にもありそうな気がするし、今の私には断定しきれません。だからこういうの書くのに適した人物が他にいるだろうとは思うんですけど、私が書ける範囲のことは書いておいてもいいのでないかなというわけで書いてます。御用とお急ぎでない方はしばらくお付き合いくださいませ。なんか前置きの文化の話が長くなってるけど、そのうちシステムメインの話題になっていくと思います。

追記:なにやらアホ忙しいぞ。ちょいとゆっくりペースになりそうです。書くことはなんぼでもあるんだがなあ。

*1:はてなキーワードでは、FFの幻獣は「ギルガメッシュ」バビロニア神話の英雄は「ギルガメシュ」と記述されてるので従ってみました。

完全コピーは難しいですよ

 文化の断絶問題をどう解決するかは色々やり方がありましょうが、スクウェアが取った方針は基本的には「無国籍化」でしょうね。
 典型的なのは『ロマンシング サガ ‐ミンストレルソング‐』のデザインです。色んな土地と時代の衣装や建物をまぜこぜにして無国籍化を図ったとスタッフが発言しています。Aさんに着物を着せてB さんにサリーを着せてCさんにプレートアーマーを着せるとかではなく、一人のキャラクターの中に兜はバイキング風、上着はブルガリア風、履物はトルコ風みたいにごちゃごちゃに投入されてます。国や土地も同様、一つの街にロンドンとパリとブエノスアイレスが混在してるとかです。『F.S.S.』でもやってたし特別新しいやり方でもないですが、確かに国籍不明にはなりますわな。特定文化の人達からツッコミが入りにくくなる効果はありそうです。
『Sa・Ga』シリーズはFFの兄弟分に当たるRPGのシリーズで、もちろんファンの母数はFFに比べれば小さいですが、これはこれで独自ファンがいます*1。が、出自からして、FF本編では取り扱いきれないけど捨てるには惜しいところを独立開業させてみた作品です。FF本編でやるには実験的すぎるもの置き場と化していたりもします。そういうシリーズはいくつかあって『聖剣伝説』とかもそうだったんだけど、最近見かけないなあ。スクウェアの定番シリーズって複数あったのに今もう絶滅しちゃった?
『ミンサガ』はリメイクで、元作品『ロマンシング サガ』とストーリーや設定は同じなのですが、デザインは全くかけ離れたものとなっています。これへの反発はあったようですが、ゲームの出来自体が良く、おおむね好評だった模様。ただしですね、プレイヤーからの反応が「デザイン変えすぎ」方面へ集中してしまって、肝心の「無国籍化」に関してはあんまり反応なかった気が。スタッフさんが評価を知りたかったのはそっちだろうと思うんだけど。
 とか言いながら私も無国籍かどうかはあんまり関心なくて、『Sa・Ga』だの『聖剣伝説』だのは、FFを研究して作った結果FFでないものができてしまった典型例だと思うので、そっちのほうが興味深いね。ものまねがうまい人っていますけど、それはかなり特殊な才能で、ふつーの人はいくらそっくりにやろうとしても、やっぱりどっか違うものになっちゃうよね。FF本編でも実験的な部分はけっこうあるので、『Sa・Ga』をFFナンバリングタイトルと置き換えてFFを名乗っても別に構わんのではないかとも思えるし*2。だから、FFをFFたらしめてるものって何よって聞かれると、うーんと考えてしまうわけです*3

*1:というか、マニアックなぶん濃いファンが多く、FFは煮ようが焼こうが構わんけどSa・Gaには下手に手ぇ出してくれるな、て雰囲気ですね。

*2:実際『Sa・Ga』シリーズの3作目までは、海外では『FINAL FANTASY LEGEND』のタイトルで発売されています。

*3:Sa・GaをSa・Gaたらしめてるものが何かははっきりしてますけど。そのうち書くかも知れません。

早く安くうまく作れればそれに越したことはないじゃないか

FFのモンスターの名前は世界中の神話や伝承を元にしています。だからってバビロニアとかインカに取材旅行、という話にはならなかったはず。5行ほども幻獣の解説が書いてあって運がよければ挿絵があったりもする本あたりを資料に「あとはお前の想像力で補えよ」なんですよね。綿密調査なんぞする時間もったいないとか思ってそう。
かといって、本当に全くゼロから幻獣を創造するって無茶だと思うんですよ。例えば『ポケモン』初期のポケモンは151種なのは有名です。あれはまあ複数のデザイナーが寄ってたかってデザインしてますけど、例えば3ヶ月で架空のモンスター151匹デザインしろって言われたらどうですか。実際にいる生き物、建造物や機械装置、神話や伝承のイメージ、強烈個性の個人、そういった諸々を自分なりに改変するやり方じゃないととても無理でしょう。そんな短期間に全部完全オリジナルでできるなんて人がいたら本物の天才です。
「既にあるものを下敷きにしてぼくがかんがえたナニガシカ」はコストを下げます。既にあるものそのものを使ってしまうと綿密な調査が必要になる。100%脳内からヒネリ出すのは脳みそに負担がかかりすぎる。オマージュと呼ぶか二次創作と呼ぶかは知りませんけど、半オリジナルにするのが一番いいということになる。商売でやってるんだからコストダウンの方向へ向かうのは当然です。
だからFFが「既にあるものを下敷きにしてぼくのかんがえたアレコレ」であることを私は肯定しています。ただしね、「過去のFFを下敷きにしてぼくのかんがえたアレコレ」がFFそのものになりうるかっていうと、もしかしたらならないのかも知れないねえ。「FFを名乗らなければ許してやるのに」「続編名乗るなら設定改変すんなよ」「下手な改変するから設定矛盾が出るんだよもっとうまいことやれ」て意見が多すぎるもん。

今時やりそうにない綿密調査

 ここで、フランス革命の当事者であるフランス人が見ると、『ベルサイユのばら』は何か違うんじゃないか、というような話をしました。
 いやいや自分はフランス人の鑑賞にも耐える『ベルばら』を作ってみせたるで!という気概の方には、ぜひともやってみてもらいたいですねえ。物凄い調査が必要だろうと思いますけど。
 本場の人達までだまくらかそうと思うなら、綿密な調査は必須です。昔アニメの「世界名作劇場」ってあったでしょう、『アルプスの少女ハイジ』とかやってた。あれヨーロッパでも放送されて、あっちの人たちはてっきりヨーロッパで作られたものだと思ってたらしいです。
 そりゃまあヨーロピアンにしてみりゃ、スイスのお話が極東の島国の職人芸でアニメ化されてるとは思いもよらないわ、という理由もあれ、『ハイジ』のアニメを作るにあたっては、スタッフ数人が現地へ調査旅行をしています。想像を働かせますに、彼らは現地の人に混じって公共交通機関を乗り継ぎ、一緒にご飯も食べてみた。ここぞとばかりに写真を撮りまくり、参考になりそうな書籍や現地の土産物など買い求めた。何より、スイスアルプスの山々の雄大さに圧倒されたものと思います。彼らが日本へ持ち帰って来た風聞があって初めて、ヨーロピアンをもだまくらかす『アルプスの少女ハイジ』を作ることができたのです。
 今、どうですかね。少なくともテレビアニメの制作現場で「スイスの話作りたいからスイスに取材旅行させてくれ」とか言ったら「アホか」の一言で却下されそうです。今時は「ストリートビューでも見てろよ」で済まされちゃうかなー。行ってみないと、さらには住んでみないとわからない事ってあると思うんだけどね。
 ただやっぱり、『ハイジ』がどうにかなったのは元からフィクションだったから、ってのはあるでしょう。いくら『ベルばら』に「この作品はフィクションです云々」て注意書きしても、フランス人の脳内には常識的にフランス革命や周辺人物のイメージが存在してるので、それとの乖離の問題は避けられない、それすら越えるもん作るってなったらこれ、物凄い労力が必要なのは明らかです。
 そんなわけで「世界名作劇場」のアニメは今でも鑑賞に耐える作品ばかりです。コストはかかるかも知れないけど長持ちもするんだから、物凄い調査前提の作品もあっていいんじゃないですか。FFは……調査って何、ってかんじ。そこがいいところだよ、もちろん。